日本橋の片隅に息づく江戸の記憶【矢ノ庫稲荷神社】その歴史と由緒を訪ねて

日本橋の片隅に息づく江戸の記憶【矢ノ庫稲荷神社】その歴史と由緒を訪ねて

東京の中心、日本橋。かつての江戸の面影を探すのが難しい現代的な街並みの中に、時を超えてひっそりと佇む小さな祠があります。それが今回ご紹介する「矢ノ庫稲荷神社(やのくらいなりじんじゃ)」です。

東京日本橋の街の中にまるで隠れるように鎮座するこの小さな小さな稲荷神社。江戸時代から続く深い物語を秘めた小さな稲荷神社がそこにあります。

真実の由来:江戸の台所、幕府米蔵の守り神

神社の直接的な起源は、なんと江戸時代、この地にあった幕府の米蔵に遡ります。当時、この周辺は米蔵があったことから「谷野蔵(やのくら、たにのくら?)」あるいは「矢之倉(やのくら)」と呼ばれていました。全国から江戸へ集められたお米は、人々の生活、そして幕府の財政を支える根幹。その大切な米蔵の鎮守、つまり守り神として祀られていたのが、三柱の神様を合祀した「三社稲荷神社」でした。矢ノ庫稲荷神社の前身である「谷野蔵稲荷」も、その一柱として篤く信仰されていたのです。当時の賑わいや、米蔵を守る人々の切実な祈りが偲ばれますね。

遷座、そして地元住民の熱き想い

歴史は元禄11年(1698年)に動きます。幕府の米蔵が移転することになり、それに伴い鎮守であった三社稲荷神社も遷座を余儀なくされました。しかし、長年慣れ親しんだ稲荷神への信仰心篤い地元住民たちは、その別れを深く惜しんだといいます。

その熱い想いが形となり、三社稲荷のうち二社(新左衛門稲荷・福富稲荷)は近隣の初音森神社へ合祀されましたが、「谷野蔵稲荷」は住民たちの願いによって当地に残り、名を「矢之庫稲荷(やのくらいなり)」と改めて、この地に再び鎮座することになったのです。住民たちの神社への愛着が、歴史を繋いだ瞬間。どれだけこの神社が愛されていたか、心の拠り所だったか、よくわかりますね。

御祭神とご利益:今に続く祈り

矢ノ庫稲荷神社

現在の御祭神は、稲荷神の総元締めである宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) が主とされています。五穀豊穣、商売繁盛、産業興隆、家内安全の神様です。かつて米蔵を守り、江戸の経済と人々の暮らしを見守った神様は、時代は変われど、今もこの日本橋の地で商いを営む人々や、地域住民の生活を温かく見守り続けています。

日本橋の記憶を紡ぐ【矢ノ庫稲荷神社】知られざる米蔵の鎮守としての歴史と由緒

東京・日本橋。近代的なビルが空を覆うビジネス街の一角に、江戸時代から続く深い物語を秘めた小さな稲荷神社が佇んでいます。「矢ノ庫稲荷神社(やのくらいなりじんじゃ)」です。

その名を聞くと、多くの人は「矢を納めた倉庫」を想像するかもしれません。しかし、この神社の歴史を紐解くと、その由緒は私たちの想像を超える、江戸の経済を支えた重要な施設へと繋がっていくのです。

真実の由来:江戸の台所、幕府米蔵の守り神

神社の直接的な起源は、なんと江戸時代、この地にあった幕府の米蔵に遡ります。当時、この周辺は米蔵があったことから「谷野蔵(やのくら、たにのくら?)」あるいは「矢之倉(やのくら)」と呼ばれていました。全国から江戸へ集められたお米は、人々の生活、そして幕府の財政を支える根幹。その大切な米蔵の鎮守、つまり守り神として祀られていたのが、三柱の神様を合祀した「三社稲荷神社」でした。矢ノ庫稲荷神社の前身である「谷野蔵稲荷」も、その一柱として篤く信仰されていたのです。当時の賑わいや、米蔵を守る人々の切実な祈りが偲ばれますね。

遷座、そして地元住民の熱き想い

歴史は元禄11年(1698年)に動きます。幕府の米蔵が移転することになり、それに伴い鎮守であった三社稲荷神社も遷座を余儀なくされました。しかし、長年慣れ親しんだ稲荷神への信仰心篤い地元住民たちは、その別れを深く惜しんだといいます。

その熱い想いが形となり、三社稲荷のうち二社(新左衛門稲荷・福富稲荷)は近隣の初音森神社へ合祀されましたが、「谷野蔵稲荷」は住民たちの願いによって当地に残り、名を「矢之庫稲荷(やのくらいなり)」と改めて、この地に再び鎮座することになったのです。住民たちの神社への愛着が、歴史を繋いだ瞬間。まさに歴史ロマンです。

なぜ「矢之庫」?名前の謎と歴史の重なり

ここで一つの疑問が浮かびます。なぜ米蔵由来の「谷野蔵稲荷」が、矢を意味する「矢之庫稲荷」となったのでしょうか。

これは、「ヤノクラ」という音はそのままに、漢字を当てる際に「矢之庫」が選ばれた(当て字)、あるいは時代が下るにつれて元の由緒が薄れ、字面や他の要因から「矢」のイメージが結びついたのかもしれません。理由は定かではありませんが、この名前の変遷自体が、土地の記憶と人々の想いが幾重にも重なった、この神社の歴史の奥深さを物語っています。

御祭神とご利益:今に続く祈り

現在の御祭神は、稲荷神の総元締めである宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) が主とされています。五穀豊穣、商売繁盛、産業興隆、家内安全の神様です。かつて米蔵を守り、江戸の経済と人々の暮らしを見守った神様は、時代は変われど、今もこの日本橋の地で商いを営む人々や、地域住民の生活を温かく見守り続けています。

都会の片隅に佇む、小さな稲荷神社の魅力

現代において、矢ノ庫稲荷神社はビル群の中にひっそりと佇む、まさに小さな小さな稲荷神社です。しかし、その小さな境内には、米蔵の鎮守から始まった歴史と、それを守り継いだ人々の想いが凝縮されています。

お狐様、赤いエプロンの代わりに数珠と素敵なネックレスをかけていますね。とってもおしゃれな感じ。

都会の喧騒を忘れさせる静謐な空間。鳥居をくぐり手を合わせる時、私たちは江戸時代から続く人々の祈りの連なりに、そっと触れることができるのかもしれません。

矢ノ庫稲荷神社御朱印

矢ノ庫稲荷神社御朱印

歴史を紡いできた矢ノ庫稲荷神社ですが、とうとう管理する方がいなくなってしまい、現在は隣接する薬研堀不動院で管理されています。御朱印もこちらで頂けます。

矢ノ庫稲荷神社でお参りした後は薬研堀不動尊にご挨拶し、御朱印を頂きました。

今に続く祈り

街を歩いているとふと目にする小さな小さな祠の神社、ほぼ稲荷神社が多いように感じますが、それはきっと、五穀豊穣と言うご利益と、その地域の方々が大切に守り続け、現在に至るものなのだと思います。

小さい矢ノ庫稲荷神社は薬研堀不動院に管理を委ねましたが、それもできずに無くなってしまった稲荷神社は少なくないと思います。

あまりにも小さく素通りしてしまいがちな神社ですが、見つけた時は足を止めて、江戸の庶民の思いを感じてみてください。きっと、普段目にしている街の景色が、より一層味わい深く感じられることと思います。

矢ノ庫稲荷神社。神様は見ています。

そういえば灯篭にこんな張り紙が・・・。ほんと、悪いことはできません。神様仏様は見ています。

矢ノ庫稲荷神社アクセス

東京都中央区東日本橋2丁目6番地 付近(隣接して薬研堀不動院があります)

  • 都営浅草線「東日本橋駅」: B3またはB4出口から徒歩約1分~2分。薬研堀不動院を目指すと、そのすぐ近くにあります。
  • 都営新宿線「馬喰横山駅」: A3またはA4出口から徒歩約4分~5分。東日本橋駅とは地下通路で繋がっています。
  • JR総武本線(快速)「馬喰町駅」: 1番または3番出口(馬喰横山駅・東日本橋駅方面)から徒歩約6分~7分。こちらも地下通路で東日本橋駅・馬喰横山駅と連絡しています。