JR両国駅、優勝力士の大きな画像を見ながら。両国国技館とは反対方向へ。大きな道路、丁字路の真正面に鎮座しているのが浄土宗の回向院です。正式名称は「諸宗山 無縁寺 回向院」
回向院はねずみ小僧のお墓があり、その墓石を削って身に着けていると勝負運に絶大な効果があるとか。これはぜひ削らせていただきたい!と言うことで回向院にお伺いしました。
無縁寺 回向院の始まりとねずみ小僧の関係
回向院の由来は、1657年(明暦3年)に起こった明暦の大火により、江戸の町は焼け野原となり、10万人以上もの人々が亡くなりました。 特に身寄りのない人々や、行き倒れなどで亡くなった人々の遺体は、引き取り手もなく、多くが放置されていました。
当時の将軍・徳川家綱は、この状況を憂い、 すべての人々を平等に弔うために、 本所牛島新田(現在の墨田区両国)の地に明暦の大火の犠牲者を弔うために建てられたのが、回向院の始まりです。 身寄りのない人々や、亡くなったすべての人々を 分け隔てなく供養したいという願いが込められています。
ねずみ小僧は、江戸時代後期に実在した盗賊として有名ですが、時代劇のように貧しい庶民にお金を配っていたかどうかは定かではありません。どちらにしても富裕層から大金を難なく盗み取る、と言うことで庶民に人気があったかもしれませんね。とにかく捕まらなかったねずみ小僧ですが、とうとう1832年に捕らえられ、打首獄門となりました。晒された首は何者かが持ち去り、回向院に持ち込まれ、葬られたそうです。

ギャンブル好きのねずみ小僧
生前は大のギャンブル好きだったねずみ小僧・・・当時はギャンブルではなく「賭博」「博打」ですね。実際ねずみ小僧は盗んだお金の大半を賭博に使っていたのではないか、と言う考えがふと頭をよぎります。

そんな賭博好きのねずみ小僧にあやかろうと、ねずみ小僧のお墓を削りその粉を持ち帰る博徒が多かったのだとか。初代のねずみ小僧のお墓は削られすぎて現在は2代目。それも対策をしなければそのうち初代と同じ運命になってしまう、と言うことで「お前立ち」と言う石が置いてあります。
早速ねずみ小僧のお墓「お前立ち」を削ってみよう!


まずは寺務所で「ねずみ小僧の御守」を受けます。「お守りの中に小さな紙が入っているので、その紙に削った墓石の粉を包んで、お守りの中に返してください。」ととても丁寧に説明してくださいました。「今日は風が強いのでこの袋(授与品を受けたときの紙袋)に入れて、お帰りになってからゆっくり包まれてもいいですよ」とのこと。お礼を言って早速ねずみ小僧のお墓へ。

あまり欲張ってたくさん削らないように・・・と思いつつもついつい力が入ります。削った粉を紙袋に受けて、あとは自宅でゆっくり。削りながら「大金転がり込め!」と心の中で思っちゃったのは内緒です。ちなみに、ねずみ小僧のお墓は削られすぎて2代目ですが、このお前立ちはすでに何代目かもわからないとか。
ねずみの横にネコ?猫塚の悲しいお話

ねずみ小僧のお墓の横にガラスの祠に入った猫塚がありました。この猫塚にはかわいそうな猫が祀られているようです。
猫を可愛がっていた魚屋さん、病気で商売ができなくなり生活が困窮してしまいます。すると猫がどこからか2両の小判を咥えてき、魚屋を助けました。しばらくすると猫は姿を消してしまいます。ある商家でまた二両加えて逃げるところを奉公人に見つかり・・・(涙)
事情を知った商家の主は、猫の恩に感銘を受け、魚屋さんと共に猫の遺体を回向院に葬りました。現存する貴重な猫のお墓だそうです。

あ、そうか、お金を盗んでかわいがってくれた魚屋さんを助ける、まるでねずみ小僧のよう。それで横に一緒に並んでいるのかな?なんて勝手に想像していました。それにしても奉公人許せん!
回向院の御朱印と一筆写経


とても美しい御朱印です。「書いている間、ご本尊様にお参りください」と言われ行ってみると、目の前にはものすごいオーラを放つ阿弥陀如来様。お香を上げさせていただき、ほんの少しの時間ご本尊様と向き合い、心が洗われるような時間でした。まさに癒し。
そして一筆写経。1行だけ南無阿弥陀仏。このように気軽に体験できるってうれしいですよね。
力石や天女様、そして静かに眠る動物たち。圧倒される参道
最後に回向院の境内の一部をご紹介します。







まずは圧倒される山門、力塚、明暦の大火により亡くなった10万人もの人々を供養する天女、そしてありとあらゆる動物たちの供養塔の数々、境内をのんびり歩きまわる猫達、ついつい長居をしたくなってしまう癒しの空間です。
ぜひ、両国に行った際には参拝、そして削ってみてください!本当に優しさが溢れる寺院でした。
アクセス
東京都墨田区両国 2-8-10
- JR総武線両国駅西口より徒歩3分
- 地下鉄大江戸線両国駅より徒歩10分
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