鎧神社は、東京都新宿区に鎮座する歴史ある神社です。戦国時代以前の武勇と武士の魂を今に伝える神社で、名前の通り「鎧」にちなんだ神社として知られています。
歴史と御祭神

鎧神社の創建は古く、醍醐天皇の時代(898年~929年)に、圓照寺(鎧神社から徒歩2分程度)の鬼門鎮護のために創建されたと伝えられています。
御祭神は以下の四柱が祀られています。
- 日本武尊(ヤマトタケルノミコト): 武運長久・縁結び等の神として崇敬されています。
- 大己貴命(オオナムチノミコト): 大国主命の別名で、国造りの神、農業神、商業神、医療の神として信仰されています。
- 少彦名命(スクナヒコナノミコト): 知恵の神、医薬・殖産の神として大己貴命とともに祀られています。
- 平将門公(タイラノマサカドコウ): 平安時代中期の関東の豪族で、民衆から英雄として慕われました。討たれた後、その鎧が鎧神社に埋められたという伝説があり、武勇長久の神として崇敬されています。
日本武尊と平将門の鎧が眠る場所。神社の名に込められた伝承
「鎧」神社と言う社名、一目で鎧に関係のある神社なんだろうなぁとわかりますよね。それもそのはず、鎧神社には二柱の御祭神の鎧が境内に埋められているとの伝承があります。
武運長久の神様として名高い日本武尊。東征の時、甲冑六具を蔵めたと伝えられているそうです。
そして平将門公。平将門公は、平安時代に関東で独自に「新皇」を名乗り、中央政権に抗った武将です。朝廷からは“逆賊”とされましたが、地元の人々からは“正義の味方”として語り継がれています。天慶三年(940)、平将門公が藤原秀郷によって討たれると、その死を悲しんだ人々が平将門公の鎧を埋めた、と言う伝承。
平将門公の鎧にはもう一説あります。将門公を討った藤原秀郷は、その後重病となります。将門公の祟りであると恐れた藤原秀郷は、鎧を埋め、祠を建て、霊を弔ったところ、 将門公の怒りが収まったのか、病気がたちまち治ったと言われます。
鎧神社は二人のヒーローの鎧が埋められているとされる神社なのです。
将門北斗七星
東京都内には平将門公ゆかりの神社がいくつもあります。そのうちの7つを繋ぐと北斗七星の形になり、今でも東京を護っているという都市伝説があります。鎧神社もその一つ、北斗七星の柄杓の形の持ち手の最後、7番目に鎧神社は位置しています。
将門北斗七星巡りはこの柄杓の形の順番通りに巡る、と言う暗黙のルールがあるとかないとか・・・。鳥越神社、兜神社、将門塚、神田明神、筑土八幡神社、水稲荷、そして鎧神社の順です。5時間以上のルートだそうで、私のようにノコノコ歩いていたら6時間以上はかかるかもしれません(汗)
静かな境内、その空気

鎧神社の境内は狭くもなく広くもなく。住宅地とは言え、その静けさや空気の清々しさに心も体も癒される感覚ががあります。そして、きれいにお手入れされた境内の、どこかに鎧が眠っているのかもしれない、などと思うと1,000年以上北新宿を見つめ守り続けてきた重さのようなものも感じます。
鎧神社は、観光スポットのような派手さはありませんが、強さと優しさに溢れているような感覚でした。
摂社・天祖社と末社・稲荷神社
天祖社は学問の神様・菅原道真が祀られています。

天祖社の両脇にいる狛犬は、全国的にも非常に珍しい狛犬型庚申塔です。お姿も珍しいですよね。

末社は、稲荷神社(宇迦御魂命)、三峯神社(伊弊諾命、伊芽冊命)、子の権現(大国主命)が合祀されています。

見上げるようなところにお社があります。
終わりに
鎧神社の参拝者は男性が多いような見受けられました。そして熱心にお祈りしてる方が多かったような気がします。ご利益の勝運・仕事運、そしてまた頑張ろう!と思える気力、そんなご利益を求めてくるのかもしれません。

今回御朱印を頂きたかったのですが、社務所はお留守の様でした。どうしても御朱印を拝受したいと言う方は、あらかじめ社務所にとお問い合わせをしてからの方がよさそうですね。
鎧神社アクセス
〒169-0074 東京都新宿区北新宿3-16-18
- JR中央・総武線(各駅停車)大久保駅北口から徒歩約11分、
- JR中央・総武線(各駅停車)東中野駅東口から徒歩約14分
- 都営大江戸線東中野駅A1出口から徒歩約14分
- 東京メトロ副都心線西早稲田駅:徒歩約15分
- 都営バス(橋62、63)新宿消防署バス停下車徒歩7分
コメント