江戸の守護神、神田明神:縁結び、学問、出世のパワースポット

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東京・千代田区に鎮座する神田明神は、江戸の守護神として古くから信仰を集めてきた神社です。商売繁盛、縁結び、厄除けなど、様々なご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れています。近年では、パワースポットとしても注目を集めており、週末には多くの参拝者で賑わっています。鮮やかな朱塗りの社殿は威厳を放ち、荘厳な雰囲気を醸し出します。

神田明神 悠久の歴史 由緒とご利益

神田明神

神田明神の御社殿。国登録有形文化財です。実は鉄骨鉄筋コンクリート造。昭和9年に竣功ということなので当時の建築の技術の粋を生かした造というのが容易に想像できますね。
創建は730年とされ、当時は現在の千代田区大手町付近に鎮座していました。その後、1616年に徳川家康公によって江戸城の表鬼門守護の地に遷座されました。江戸時代には、江戸の繁栄とともに神田明神も信仰を集め、多くの参拝者が訪れました。

主祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、平将門命(たいらのまさかどのみこと)の三柱の神々です。

  • 大己貴命: 出雲大社の御祭神であり、縁結び、商売繁盛、五穀豊穣の神様として信仰されています。良縁を願う人々や、商売繁盛を祈願する企業や個人事業主など、多くの人々が御神徳を仰ぎます。
  • 少彦名命: 医薬の神様として信仰されています。健康祈願や病気平癒を願う人々が訪れ、心身の健康を授かります。
  • 平将門命: 東国の英雄として知られ、厄除け、勝負運の神様として信仰されています。厄年を迎えた人や、人生の岐路に立っている人など、様々な人々が御加護を求めます。

神田明神の見どころ

見どころたっぷりの神田明神。境内を順番に回ってみましょう。

鳥居をくぐり、まず見えてくるのが鮮やかな朱色の門、隨神門

隨神門

外側に安置されているのは右が豊磐間戸神、左が櫛磐間戸神。朝やかさに目を奪われます。

だいこく様尊像

神田明神大黒様

隨神門をくぐると左横にある大きな大黒様に目が行きます。石造りとしては日本一の大黒様だとか。大黒様はお金と出世の神様。期待が膨らみます。

正面を向いた迫力の狛犬

神田明神の狛犬はとにかく大迫力のマッチョ。本当に強そうです。狛犬は向き合っているのが通常ですが、この狛犬たちは正面を見据えています。それも余計に大迫力に感じるのかもしれませんね。

えびす様(少彦名命 すくなひこなのみこと)

神田明神えびす様

鳳凰殿横のえびす様。海の仲間たちに守られながら木の実の船に乗って海の彼方にある常世から来訪されるお姿です。大海原を渡っていらっしゃる小さなえびす様。でも海の仲間たちがいるから安心、と思うとなんだか自然に顔がほころんでしまいます。

その他見どころ

神田明神の境内をぐるりと回ってみましょう。

平将門公と神田明神

神田明神の創建は、約1300年前とされています。当時は、平将門命を祀る「将門社」と呼ばれていました。東京大手町にある首塚のある場所に落ちたとされる平将門公の首(創建当時はこの将門塚周辺に神田明神があったそうです)、その後周辺では天変地異が頻繁に起こるようになり、将門の怨霊が各地で祟りを起こしたと噂されます。その祟りを鎮めるために神田明神に奉祀されたということです。

江戸時代になると、徳川家康の命により江戸城の表鬼門除けとして現在地に移転されました。その後、江戸の町の発展とともに神田明神も発展し、江戸の総鎮守として人々の信仰を集めるようになりました。

怨霊として恐れられた将門は、時代を経て人々の守護神へと変化しました。神田明神は、将門の怨念と鎮魂、そして信仰の歴史を体現する場所と言えるのではないでしょうか。平将門公に興味のある方は、大手町の将門塚、そして将門公の首が安置されていたとされる九段北の筑土神社へもぜひ足を運んでみてください。

神田明神アクセス

  • 住所: 東京都千代田区外神田2-16-2
  • JR中央線・総武線: 御茶ノ水駅から徒歩5分
  • 東京メトロ千代田線・丸ノ内線: 新御茶ノ水駅から徒歩7分
  • 都営地下鉄新宿線: 小川町駅から徒歩7分
hana

hana

都内中心にパワースポット巡りをしています。見てくれた皆さんにも幸せが届きますように。あとはただの呑んべぇ女です。

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